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​実存の居場所

「実存(existentia)」とは「現実存在」のことで、この現実の世界に立ち現れてしまった人間をイメージした言葉です。人間は猫とちがってあるがままを生きられないので、生き方あり方を手探りしなくてはいけません。神がいるなら正解がありそうですが、いないのならばどうするのがいいのでしょうか。

「実存の居場所」

私はそのことに関心をもっています。世界のなかで自分の適切な場所をさがすということに。

それは学問のなかでは一応、哲学が担当することになっていて、「実存主義」(existentialisme / existentialism)と呼ばれる一派の問題意識と重なります。キェルケゴール、ニーチェ、サルトル…… 最近では分析実存主義と呼ばれる一群もいるようです。私はこれまで哲学に軸足をおいてきました。

学問はロゴス(理)で真理を捉えようとします。宇宙は混とんとしたカオスではなくて法則性がある、「理」法が働いている。それを人間は「理」性で捉えることができる。自然科学ももちろんそうですし、哲学も学問です。

実存の居場所という問題についてはどうするのがいいのでしょう。ロゴスでアプローチもできますが、それでは真理の一面しか捉えられない気がしています。たとえば反出生主義の議論―――人は生まれれば必ず少しは不幸を経験するのだから、人は人を生み出すべきではない―――は理屈ではわからなくもないです。ですが理屈一本鎗では大切な何かを見落としてしまう。

人間は真理にロゴスではなく感性で、感情や感覚で触れることもできます。素晴らしい映画をみたときの言葉にならず心を打たれるような経験はきっとそれです。感性をたよりに真理にアプローチする試みが芸術です。映画のほかにも、文学、アート、音楽……

実存の居場所という問題に、哲学と芸術を融合させて向き合ってみたいのです。

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